しかも、Opera関係者以外、意味不明な文章になってしまったし…
反省はしている。でも、後悔はしていない。
(続きはこちら)
日本のOperaコミュニティーというのは、思った以上に世界が狭いものです。
ユーザーの数は、みなさんが想像している以上にかなり多くいるとは思いますが、積極的に(名前を出して)発言する人となると途端に減ります。(Operaユーザーの方は分かってくださるのではないでしょうか)
だから、検索などすれば、結局、お馴染みのメンバーにたどり着いてしまうわけで。
要するに、この界隈では些細なことでも情報がすぐに伝わってしまうというわけです。
それで、今回、どうしても言っておきたいことがあって、「また、誤解されるんだろうな」と思いつつ、本当にOpera、またOperaコミュニティーが好きなので、自分にとって不利益なことであると認識しつつも、あえて書こうと思ったというわけです。
まあ、この件に関して、私のスタンスは決まっていますし、議論をするつもりもないので、分かる人だけに分かるように書きました。もしかすると、事情を知らない人は、全く意味が分からないかもしれませんが、その点はどうかご了承下さい。
まず、はじめに、Operaのテスト版(Weekly Build)というのは英語で発表されます。これは事実です。
また、そのテスト版の日本語訳というのは、今日現在公式なものは存在しません。これもまた事実です。
その点を踏まえて、議論を展開していきたいと思います。
テスト版というのは、正式版ではありませんが、そのもつ意味は非常に大きいと思います。積極的にユーザーが自ら人柱となることによって、不具合等がOperaにフィードバックされ、それがOperaに反映される。この流れが重要だと思います。
ユーザーとしても、新たな機能、不具合の修正をいち早く体験することができますので、そこに利点がありますし、Operaにとっても、人柱が増えれば、未知の不具合点等を発見することができるというメリットがあります。ですから、Oepraの発展にとって、テスト版というのは大きな存在意義があるというわけです。
その意味では、そのTest版を積極的に試してみようというユーザーというのは、Operaにとっても、ユーザーにとっても非常に大切な存在でして、そういう人がより増えるように、DeskTopTeamの発表した資料等を理解できるように、それを日本語訳するということは、非常に大きな意義があると思います。
さて、それで、ここからが本題ですが、まず、はじめに、それを日本語訳している人がいて、それをやめた理由が「飽きた」からというのは、どうなんだという話から話していきたいと思います。
まあ、私は、個人でやっているのですから、そんなのは好き勝手にやればいいし、やめればいいと思いますし、その選択においてその人に責任があるとは思えません。ただ、(それまでの経緯を含めて)そういう姿勢はどうなんだと考えることも可能です。私は、公式ではない人の訳した日本語訳に全く興味はありませんから(責任をとれるとは思っていませんから)、それを実際に見ていたわけではありませんので、コメントする立場にないのですが、定期的に発表されるということは、それなりの期待が読み手にあったといえるのではないかと思います。また、客観的に、個人で続ける上でのモチベーションの関係からいって、本人もその反応を知っていたといっていいでしょう。そういう事情を鑑みると、その期待を裏切り、照れ隠しだろうが何だろうが「飽きた」で片付けるのはどうかとは思います。
結局、そういうことを言うのであれば、どだい最初から続けられない無理なことはしなければいいのであって、わざわざ「オレは英語ができるんだぞ」的な自己顕示欲と捉え兼ねられない幼いことなんてしなければいいのに…と個人的に思ったりもしますが、それは個人的な意見なので、ここでは置いておいておくことにします。
まあ、それはとにかく、重要な点は、このような個人の恣意的判断に左右されるような日本語訳の提供の仕方はどうなんだということです。要するに、もっときちっと責任がとれる体制で日本語訳を提供した方が、我々にとって有益ではないかというわけですね。
その点、Mozillaはきちっとしていて、そういう体制が整っていたりします。
もちろん、Mozillaは非営利団体でオープンソフトウェアの精神を十二分に引き継いでいますから、営利企業と比較するというのは酷というものですが、Operaが好きな人は、そういう体制が日本Operaコミュニティーでもできないかと思っている人も多いのではないでしょうか。また、あるいは、公式で発表して欲しいと思っているというわけですね。
それで、まず、この件に関して、公式に発表することは無理だろうというのが前提にあります。
理由は、(これは私の感想で、これが事実かどうかは分かりませんが)人的リソースが足りないことにあります。要するに、これをやるところまで手が回っていないというのが実情なのではないかというわけです。
仮にそうだとすると、非公式で、Operaコミュニティー内でどうにかするしかないわけですが、それを各人のブログに委ねると、先ほどの例のようにその人の裁量に委ねられてしまうし、また、重複、誤訳、情報の散在等といった問題が出てきます。
ですから、情報を一元化し、オーソリティーを持った体制でこれを何とかしたいと思っている情熱的なユーザーも多いのではないでしょうか。
しかし、残念ながら、それは現実的にはかなり実現が無理な側面があると思います。
まず、はじめに、最初話したとおり、発言するユーザーの数が非常に限られてしまっています。人が足りないというわけですね。WBは頻繁にリリースされるわけですから、一部の人に任せるとなると負担が大きすぎます。まず、そこに無理がある。
また、ボランティアであろうが何だろうが、ある目的をもって集まるのであれば、組織化が必要なことは周知の事実であろうと思います。そして、Operaコミュニティーでは、その組織化ができる体制にないというのが現状でしょう。日本Operaコミュニティーはユーザー間の連携は強いですが、組織化には向いていないというのが私の感想です。
従って、いつまでたっても、この問題は解決しない。
また、このコミュニティーを事実上引っ張っている人が、(前にこのブログでもちょっと触れましたが)「日本語訳が下手なら最初から公開するな」みたいな暴言を言っているようじゃ、積極的なユーザー(有志)も出てこないというものです。はっきり言って、能力の如何に問わず、せっかくのやる気も萎えるというものです。
少なくとも、私はあの発言以降、もう訳すのをやめました。また、その関係上、同時に、テスト版がリリースされてもブログで言及することもやめました。そして、これからも言及する予定はありません(さすがに正式版はするけど)。
(まあ、いま冷静になって考えてみれば、あれはネタか、釣りだったんじゃないかと思っています。それにマジレスをしてしまった自分が恥ずかしい。逆に、もし仮に、本気で言っていたとするならば、かなり驚きますが(笑)。)
以上のことをまとめてみると、次のようになると思います。
Operaのテスト版はその持つ役割というものは大きく、それを試してみようという人が増えることが、Operaにとっても、ユーザーにとっても有益であり、そして、それが日本の場合、母国語ではない言語で書かれたものを日本語訳するという作業には意義がある。
ただ、それを恒久的に公開する体制作りを作る雰囲気はなく、積極的なユーザーが各人、趣味の範囲で行うことが精一杯であり、それでもないよりはましだというのが現状である。
これらの点を踏まえた上で、「それじゃあ、一丁、Operaのために頑張ってみるか」という気運が高まらない限り、双方にとってマイナスな現状はこのまま続いていくと思います。
そして、現在ではその端緒は残念ながら見られないということでしょう。
ですから、回り回って、Operaユーザーは増えないということになります。
ちなみに、偉そうにいままで語ってきましたが、そういう私は、どうせ「誤訳を広めてしまう」でしょうから、これに参加するつもりは全くありませんけどね。
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