こういう人には気をつけた方がいいですよね。
(続きはこちら)
1.私が信用できないと思っている人の話し方の例
抽象的に話しても分かりずらいでしょうから、まず、例を挙げてみましょう。
例えばこんな感じですね。
「消費税率引き上げは絶対してはならない。消費税を引き上げたとき、年金暮らしの高齢者は一体どうなるのだろうか。か弱い老人に鞭を打つような政策は愚作であるといわざるを得ない。今の私たちがあるのは現在の高齢者が頑張ってくれたおかげである。その恩を忘れているのではないだろうか。」
「私たちはもっとエコに関心を向けなければならない。今は地球の環境を守ることができる最後のチャンスである。考えて欲しい。私たちの将来の子供たちのことを。彼らに緑ある地球を残すことが今を生きる私たちの責任ではないだろうか。」
「イルカは知的な生物であり、高尚な生き物である。そのイルカが絶滅の危機に瀕している。それは我々が利己的な生活を続けてきたからだ。イルカと共存できるような海洋環境を整えなければならない。イルカはきっとこの有様を見て泣いているだろう。」
などなど。
例を挙げるのはとても難しいので、なかなか上手くいかないのですが、まあどこにでもありそうな感じを表現して、かつ、今回の例として例示する分にはこの程度でも問題ないかと思います。
さて、これらの例において、どこか違和感を感じるところはないでしょうか?
もっとも話をしやすくするために分かりやすくしてあるので、きっと気付いた方も多いでしょうね。
というわけで、ちょっとどこが変(怪しい)か考えてみてくださいね。
ちなみに、これらの主張が言っていることは大方賛同の得られるであろう点を題材としました。ですから、その分、ちょっと惑わされるかもしれませんが、感のいい方(思考をよくする人)はその点もきっと分かっていただけたかと思います。
2.上記の例が怪しい理由
まず、やらなければならないことは主張の分析ですね。上の例でいうとこんな感じになろうかと思います。
「消費税を引き上げると高齢者が困る。」
「エコを進めないと将来の子供たちが困る。」
「海洋環境の保全をしないとイルカが困る。」
まあ、修飾語を除いて単純に言ってしまえばこれだけのことです(他に要約の仕方はあるでしょうけど)。修飾語を除くと大したことはいっていませんよね。
それで、これのどこが変か(怪しいか)といえば、
「消費税を引き上げたとき必ず高齢者は困るのか?また、高齢者以外にも困る人はいるのではないか?消費税を引き上げることによって、助かる人たちもいるのではないか?」
「将来の子供たちが困るというが、具体的にどう困るのか?また困るのは将来の子供たちだけか?仮にエコを進めると(その点に関して)本当に将来の子供たちは困らないのか?」
「イルカが困っているのはかよう環境が原因なのか?また、イルカが困らなければ他の生物が困ってもよいのか?環境保全をすることによって職を失ったりする人たちのフォローは考えているのか?」
などなどの疑問がまず浮かんでしまう点です。
まあ、そうはいっても、「そんな重箱の隅をつつくような議論をされても」とか、「すぐに揚げ足取りをして何が楽しいのか」といった声も聞こえてきそうですが、もちろん、今回の問題点はそこではないわけです。
つまり、高齢者や将来の子供たち、イルカを救おうという目的それ自体は、別に何も問題がないのですが、そうではなく、その理由付けが問題だ(怪しい)というわけなのです。
※だから、すぐに簡単な疑問が浮かんでしまうのですね
要は、自分の意見を主張する際に、その理由に「人の琴線に触れるようなものを意図的にもってきて(人の感情に訴えて)物事を主張するような人は信用できない」というわけですね。
直接議論をするのを避けて、抽象的なことで誤魔化して、相手を説得しようとする人を信用してはならないと私は思うのです。主張は「ブンガク」ではないのです。
しかも、この方法の悪いところは、往々にしてその目的とは別の意図でそれを使う傾向にあるという点にあります。例えば、消費税を引き上げてほしくない人が、「高齢者が困ろうが自分には関係ないが、感情的にこういっておけば反論できないだろう」という意図をもって、もっともらしい論拠にそれが使われてしまうことが多々あるという点がミソです。
3.自分の意見の主張の仕方
別にどういう主張をしようがそれが合理的であれば何も問題はないのですが、こういう狡い方法を使うのはどうも私は信用できません。議論というのは、お互い対等なもの同士がそれぞれの根拠、理由を出して争うのですが、神聖不可侵的なものを持ち出して、それに関してなにも根拠立てせずにそれを盾に話を進めるのは私は狡猾だと思うのです。そして、それに反論しただけで「なんて人間味のない冷たい冷血漢だ」といわれるのはちょっと勘弁して欲しいなって思ってしまいます。
もっとも、上記の主張でも、仮に「こうこうこういうデータがあってそれを元に考えるとこういう結果になるのだから、私の主張は正しいのだ。」というのならば、それが合理的であればそれに賛同できますし、またそれが不合理であればそれに反論できるので、それはそれで十分よいのですが、このように伝家の宝刀を出してそれを盾に「だから、私が言っていることが正しいのだ」とやられるとどうもこうも話が進まないわけで、相手において最初から結論が決まっているものに対して議論してもどうにもこうにもどうしようもないということになってしまいます。
でも、実は、こういう感情に訴えるという方法は、よく使われる手でもあります。ニュースとかでも、そうですよね。問題の本質を追究するのではなく、感情に訴えて誤魔化そうとする。そこで、それに気が気がつかずに丸め込まれてしまうと相手の思うつぼということになってしまいます。
どんなに修飾語をつけていても、修飾語を外せばいっていることは単なる感情論であって、もっともらしく聞こえてもその内実は何もないということが往々にしてあります。
これは気をつけたいものですね。
しかも、それが(こういった類の話ではなく)商業に使われることもあるのだから、なおさら気をつけなければなりませんね。耳に聞こえがいいことの裏にどす黒い本来の目的があったりすることがよくあるのです。
4.最後に
ちなみに、なぜ、このような感情論がもてはやされるかというと実は理由があります。
と、ここで、その理由について書いてみたいと思うのですが、今回は少々長くなったので、それは別の機会に書くこととして今回はこれくらいにしたいと思います。
というわけで、興味のある方は、楽しみにしていて下さいね。
面白い視点で物事を捉えられればいいなと思っています。
今回は以上です。
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