※別になぞなぞじゃないですよ(笑)
今回は、それを見るということとは何かについてちょっと考えてみたいと思います。
(続きはこちら)
1.「見えているけど見えない」ものの具体例
「見えているけど見えないもの」と抽象的に言われてもピンとこないでしょうから、ちょっと具体例を挙げてみることにします。
例えば、こんな感じですね。

上記の図は、(一応)信号機のつもりです。交差点とかによくあるやつですね。これはみなさんも毎日みていることかと思います。まあ、仮に毎日とまでは言わなくても、見たことがないという人はあまりいないでしょう。それで、ここの具体例として、ちょっと考えてみて欲しいと思うのですが、みなさんは、この信号機の色が分かるでしょうか?
つまり、1,2,3の番号を振ってあるシグナル部分の色は何色かということですね。
※もちろん、日本の一般的な信号機を想定しています。国外や特殊なものは除いてくださいね。
ここでいいたいのは、もちろん、信号機の色が何色かということを知っているかということではありません。正直な話、信号機の色の並び順など、普通に生活していれば些末なことであって、それを知っているからといって(あるいは、知らないからといって)特段問題はありません。要は、信号機の色の並び順を知っていようが知っていまいが、あまり現実的に影響が少ない事柄だというわけですね。
そして、多くの人にとって、この信号機の並び順はプライオリティーの低い事柄だともいえます。
むしろ、ここで一番重要なのは(みなが関心があるのは)、青信号のとき直進ができ、赤信号では直進ができないということでしょうね。
2.何故「見えているけど見えない」ものがあるのか
実は、この点が非常に興味深い点であったりします。
つまり、人というのは、プライオリティーの低い事柄に対しては、大して注意を払わないという傾向があるということが分かるわけです。ですから、実際上、「見えているけど見えない」ものが存在するというわけなのです。
まあ、これは何故かというと、(私見ですが)たぶん、全てのことに対して注意を払う(常時緊張して物事に臨む)ことは、非常に効率が悪く、合理的ではないからだと思います。
※そんな感じでいつも緊張していたら体が疲れすぎて、とても人間らしい生活なんて送れないですよね
だから、見えていても、それを見えないように、人間はなっているのではないかなと私は考えています。
そして、この点が非常に興味深いと私は思うのです。
3.先ほどの答え合わせ

4.このことから何がいえるのか
さて、上に答えを載せておきましたが、正しい答えを導き出せた人、あるいは、間違えてしまった人がいらっしゃると思います。もちろん、この問題の正誤は今回の問題の本質ではありません。私が言いたかったのは、「人は全く同じ景色を同時に見ていても全く同じものが見えているとは限らない」ということです。要は、人は「人によって見えている景色が違う」ということですね。
このことは自明のことでありながら、実は、とかく忘れがちです。自分がみているものは他の人にも全く同じものが見えているのだとはいえないのです。
このことは、他のことについてもいえます。
例えば、同じ文章を読んでいても、理解の度合いが違うのは、それは個々人にとって「見えているもの」が違うからですし、同じ話を聞いても感じ方が違うのは、(個々人の感性の違いももちろんありますが)「見えているもの」が違うからなのです。
すると、人にぬきんでて何かをしようとする人にとって、この他人の「見えていないもの」を見るということが、多くの場合、肝要となってきますね。「見える」ということは、それだけ情報量が多いということなのですから、それは「見えていない」人よりも、圧倒的に有利な場合が多いはずだからです。
もし仮にそうだとすると、「見えないもの」を「見よう」とすることは、非常に難しく、特別な訓練、能力が必要ですが、他の人も「見えているけど見えない」ものを「見る」ということは、それと比べて容易だともいえるので、まず、基本として、「見えているけど見えない」ものを見ようとすることが、まず何事においても重要ではないのかなと私は考えています。そして、このことは、ときとしてとても重要になったりもします(これについては、少し説明が必要でしょうが、紙面上今回は触れられないので割愛します)。
もしかすると、こういうちょっとした心がけでことに臨むことが、人より「デキ」る人の条件なのかもしれませんね。
今回は、思った以上に長くなってしまったので、書きたいことが書ききれませんでした。
それもまた追々書いてみたいなと思っています。楽しみにしていて下さいね。
ということで、今回は以上です。
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