アンケートの結果は、「裁判員の“市民感覚”で量刑判断は無理」を選択した方が最多となり、約半数を占めました。この意見に「公正さを欠くことも考えられる」を加えると、約84%の方が裁判員の「公正さ」に多少なりとも疑問を抱くという結果となりました。
「公正な判断を期待できる」を選んだ方は約1割の少数でした。
この記事を読んで思ったことを書いてみました。
(続きはこちら)
1.裁判員制度ってどうしてはじまったんだっけ?
そもそも裁判員制度って、大雑把に言うと「裁判を主導するのは民主的正当性を欠く少数エリートたちだ。しかも、特に裁判官は、入所してから世間に一度も出たことがない人が大半なので、市民感覚とかけ離れた判決が出されていることになってしまう。もっと裁判に市民感覚を裁判に導入すべきだ」という批判からはじまったと思います。
まあ、その妥当性の判断はともかく、一般には「そう言われればそうなのかもしれないね」とは思わせる言説ですね。
それで、経緯としては、裁判所は(みなさんが思っている以上に)いろいろと努力をしてきたのですが、どうやらその種の批判を完全に満足させられそうにないので、司法制度改革の折に、「よし、じゃあ、みんなで一緒にやろう」といってできたのが「裁判員制度」ではないかなと思います。
※かなり適当な説明ですけど
2.温度差のある「裁判所」と「市民」
裁判所にいって、「裁判員制度とは何ぞや」という説明を聞いてきた人は知っているかと思いますが、実は裁判所は割とノリノリです。ノリノリという表現は少しおかしいかもしれませんが(笑)、新しい椅子を買ったり、超大型モニターを買ったり、最新設備をすごい勢いで整えており、全体的に裁判所としては日本の裁判の新たなスタートに非常に期待しているように感じられます(もちろん、裁判員制度に反対な方もいますけどね)。裁判官の方も(あるいは、検察官の方も)この件に関してすごく情熱的ですよね。
しかし、それとは対照的ですが、当の市民はあまり乗り気でない(できればやりたくない)という話をよく聞きます。
それは一重にこんな感じなんでしょうね。
「確かに、市民感覚が反映されていないとはいったけど、自分がやることまでは求めていない。というか、全く専門の知識がないのに、急にやれっていわれてもそれは困るよ。そもそも、それはあなた達のお仕事でしょ?無理なものは無理。」
まあ、そういうやりとりを見て「NIMBY(Not In My Back-Yard)的な発想だ」と批判することも可能ですけど、そうでもないですよね。
確かにそこには無理があるわけです。
3.そもそも裁判所の判断って市民感覚からずれているの?
※以下、刑事事件を想定して記述します
これは私の考えですけど、そもそも、判決が不当だ、市民感覚からずれているというのは、果たして批判としてあっているのかなと思います。
確かに、判例を見ていると、ある種の判断を避けたり、(敢えて)技巧的に逃げたり、政府寄りだったり、「これっておかしいんじゃないの?」と思うことがないということはないのですけど、それを差し引いても、裁判所は割と妥当な判断をしていると私は思います。
よくみなさんが抱いているようなイメージ、「裁判=ゲーム」という感覚は、日本の裁判にはあまりないのではないかなと思います。アメリカみたいに法律の不備を突いて「こうだ」と主張しても、その結果が妥当でなければ裁判所は何やかんやで否定してしまいます。
※本当に普通の(市民感覚と重なる)判断ばっかり
そして、それらの中に、一見、妥当でないような判断があっても、それはそれなりの理由があったりします。
まあ、よくマスコミはその部分だけをとらえて「これは不当な判決だ」と騒ぎ立てますが、判決というのはその事件だけでなく、全体としての整合性、あるいは、他のものとの兼ね合いもありますから、そういう意味では、それも決してアバンギャルドな判断ではなく、保守的で愚直な妥当じゃないのかなと思うことも多いです。
※逆に感情に流されて、その事件だけ刑が重かったら公平じゃないし、危険だよね
4.なぜ意識がずれるのか
まあ、その点については、その全体像を知っている人しかそれは分からないわけですから、そういう感想もそれはそれで間違っているというわけでもないのですけど、そこがこの種の問題の難しいところではないかなと思います。
※どの分野でもいえる専門家と非専門家の永遠の命題だよね
例えば、よくプログラマーに発注したクライアントが、「こうこうこれぐらいできるよね」と平気な顔で無理難題をいってくることがありますよね。
そんなとき、技術者は心の中で「あなたは知らないからそう簡単にいえるけど、無理なものは無理ですって。いっていることが無茶苦茶だよ。」ということがある。
要するに、知っている人と知らない人の間にはどの分野も壁があるものですね。知らない人はイメージでしか物事をとらえられませんから、プログラマーならこれくらい簡単にできるでしょうということになってしまいがちです。
だから、仮にある事件において「懲役に10年に処する」という判決が下されたのを見て、「いや、あれは死刑だろう」と真顔でいわれると、「いやいやいや、いくら何でもこの罪状でそれは無茶苦茶でしょう」と閉口してしまうということもあるわけで、知っている人の常識と知らない人の感覚というのはどうしてもずれますから、なかなかそこが難しいと思います。
5.そのずれを埋めながら裁判をするというのが裁判員制度
以上のように、私は、裁判所は割と妥当な判断を下していると考えていますから、個人的には裁判員制度には反対ですけど(つまり、そもそもの批判が存在しないし、逆に導入することによるマイナスの要素が多すぎる)、みんなでやるということに決めたわけですから、一緒に盛り上げていきたいと思っています。
でも、現実問題としてどうしてもそこにはずれがあるわけですから、ずれのあるままそれを克服するというのは想像以上に大変ではないかなと思います。
それで、初めの問いですが、
「裁判員に公正な判断は期待できますか?」
どうでしょうね。
そもそも制度的にある種の矛盾を含んでいますから、なかなか大変だと思います。
でも、個人的には、それなりに落ち着いていくのではないかなとは思います。
※裁判員制度に行きたくない人の中で、昔、必至にその種の批判していた人はまさに「藪をつついて蛇を出」してしまったのかもしれませんね(笑)
おまけ
まあ、比較的専門的な知識が高度に要求される民事と比べて、刑事のほうが分かりやすいですし、また、裁判を傍聴してみれば分かりますが、思っている以上にその内容が分かるものですから(民事の場合は、証拠とかも口頭で弁論せず省略してしまうので見ていても、知らない人は何が何だかさっぱりでしょうけど)。そういう意味では、案外上手くいくのかなとは思いますけどね。
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